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幸恵塾 塾長 笛吹幸恵(うすいゆきえ) さん インタビュー

幸恵塾 塾長 笛吹幸恵(うすいゆきえ) さん https://www.zerobeauty-ashiya.com/

美しい容姿から、一見、どこか近寄りがたい雰囲気を醸す笛吹(うすい)幸恵さん…実際、お会いしてみますと、親しみやすいお人柄に少しギャップを感じました。お話をお聞きすると、おしとやかな外見からは想像できないハードな人生を送られてきたことに、またギャップが!インタビューはある意味、楽しいギャップの連続でした。

人生には誰しもターニングポイントがあります。それをどのように生かすかでその後の人生が変わってきます。笛吹さんのお話をお聞きして、大切なことは「ポジティブな脳」を持つことだと気付かされました。彼女は常にポジティブな考えと言動で、ご自身だけでなく、多くの女性を輝かせるお手伝いをしてこられました。人生100年時代になりつつありますが、笛吹さんは90歳まで仕事をしたい!と言われています。エレガントな容姿に潜むパワーの秘密に迫りました。

 


最初のターニングポイントはオーストラリア発の珍旅行!

大学を卒業後、ワーキングホリデーでオーストラリアに行きました。そこで珍しいツアーを見つけ参加することにしたのです。分かりやすく言えばバックパッキングでヨーロッパを一周する旅行です。参加者は18歳~35歳の男女で、その中で日本人は私だけでした。大学では国文学を専攻していましたので、英語は得意ではなく、ましてや会話はほとんどダメでした。30年も前ですから、当時の白人社会には黄色人種に対する偏見もありました。両親は無謀な私の思いつきに、きっと直ぐに諦めて帰ってくると思っていたようです。ですがそのツアーで私は日本人としての自分を知り、自立の一歩を踏み出すことになります。

今では信じられないことですが、ツアー開始当初は私が日本人であることだけで避けられました。ところがあるきっかけで参加者が興味を持ってくれ、終いにはツアーの人気者に?なりました!そのきっかけとは英語での自己紹介です。先にお話しましたように英語が得意ではありませんが、必死になって自分のことを話しました。それがなぜかとても受けたのです。日本人が話すたどたどしい英語が可笑しかったせいかもしれませんね。今でもなぜ自分のスピーチがあれほど受けたのか分かりません。(笑)

旅の後半になると移動のバスや就寝のテントで、私と一緒に…と望む人が増えてきました。それはきっと日本人が持つ奥ゆかしさ、相手を慮る気持ち等が欧米人には新鮮で、長きに渡る旅行では私と過ごす時間が楽だったのだと察します。この時、初めて私は自分が日本人であることを強く意識しました。日本人のDNAにある素晴らしい性格を大切にしたいと思ったのです。以来、その思いはずっと持ち続けています。

50日間でヨーロッパを一周した私は、その後、スペイン、エジプトと旅行して最後にニューヨークに行きました。1980年代のNYは治安も悪く、街もきれいとは言えませんでしたが、それにも増してエキサイティングで魅力的な都市でした。NYには2ヶ月間いましたが、そこで知り合った日本人仲間は、今でも大切な友人です。

帰国した私に家族は驚きました。顔つきが変わっていたそうです。一人で海外に出かけ、あらゆる人種の人と様々な文化に触れたのですから、価値観が変わったことは事実です。オーストラリア発の世界一周の経験は、その後の私の人生の大切な糧になりました。

 

日本発のOJTトレーナーとして仕事漬けの日々

 帰国後、私はある企業が設立したOJT(オンザジョブトレーニング)のトレーナーの一期生として入社しました。OJTとは平たく言えば社員研修…それも主に新入社員のための現場教育のことです。トレーナーになる研修を半年間受けましたが、最初30人だったのが最後には9人にまで減っていました。確かに厳しい研修ではありましたが、この時に世界中を旅行した経験が生きました。言葉も文化も人種も違う世界を体験した私には、厳しい環境も想定外のアクシデントも耐え抜く術が備わっていたのかもしれません。

トレーナーとしての知識を身に付けた私は26歳でフリーランスになり、様々な企業の社員研修に携わりました。特に大阪での日本初の大型エンターテイメント施設オープンのスタッフ研修は、大きな責任が伴うハードなものでした。すでに結婚をして妊娠もしていたのですが、出産予定日の3日前まで働き、出産の半年後には現場に復帰するというあり様で、ギリギリまで自分を追い込んで仕事をしていました。気がつけば体も心もボロボロになっていました。家族も顧みずに働いていたのですから、当たり前ですが家庭は崩壊しました。

がむしゃらに走ってきた人生に疲れ果てた私には休養が必要でした。ですが仕事に明け暮れ体まで壊したハードな経験が、また私を次のターニングポイントに導いてくれたのです。人生に起こることに無駄なことはありません!無くした物も多かったかもしれませんが、社員研修のトレーナーとしての経験も大切な人生の糧になりました。

 

37歳にしてプチ更年期

仕事に突っ走ってきた私は、すっかり健康に支障をきたしていました。もともと少しぽっちゃりした体型でしたが、いつのまにか体重は75kgにもなっていました。不整脈が多く、子供の頃に一旦治っていたアトピーがまた出てきました。出産後は生理も止まり、30代後半にして更年期のような状態に陥ったのです。

自身の健康に危機感を覚えた私は、まず「痩せなくては」と思いました。そんな時に偶然読んだのが、今はお亡くなりになりましたが…当時のベストセラー作家・佐藤富雄先生のコラムです。ご存知の方も多いかと思いますが、医学博士でもある先生は健康科学者としても活躍されており、アンチエイジングや心と体の関係について研究をされていました。先生のコラム、そしてご本を読んで「これだ!」と思った私は、先生にお会いしにお住まいの熱海まで押しかけて行きました。このことが私の人生の新しい扉を開くことになったのです。

 

第二のターニングポイントは佐藤先生との出合い

佐藤先生はまず私に「痩せなさい」と言われました。先生の教えてくださった痩せ方は、テレビや女性誌のダイエット特集にあるような食事や運動とは無縁のものでした。それは目指したい理想の自分の姿の写真を部屋に貼りなさい…というものだったのです。私は杉本彩さんのファンでしたので、彼女の写真をアチコチ目につく場所に貼りまくりました。そして「私は綺麗」「私は可愛い」という言葉を自分自身に言い続けたのです。そうするとどうでしょう!3年間も止まっていた生理が2週間で復活して、ウォーキング程度の軽い運動をするだけでしたが、3ヶ月でなんと25Kgも痩せたのです。肥満が解消しますと、顔のラインも美しくなり容姿も変わりました。当時、娘のママ友からは「整形したの?」と聞かれたほどです。(笑)

佐藤先生の理論は、著書を読まれるとお分かりになると思いますが、どうなりたいか…自分の思いを明確に言葉に出し、言ったことを実現させるというものです。脳を勘違いさせあたかも理想が現実になることは当たり前と思わせることです。私は痩せてどのようになりたいか…写真で理想の姿を明確化して、その自分になることができたのです。女性は誰しも美しくなりたいと望んでいます。すっかり変身した私を見た周囲の方から、「どうしたら美しくなれるの?」と方法を教えて欲しいと言われ、ついには働いているお母さん達200人程に自身の体験を元に「なりたい自分になる方法」をお教えしました。

 


ZERO BEAUTY 幸恵塾の開設

痩せて美しくなった私に一番、驚いたのは主人でした。他のお母さん達にも美しく変身する方法をお教えしている私を見て、主人はこれを「仕事」にしよう!と言いました。美しく幸せになる方法をお教え出来るなら、これほど人様のお役にたてる仕事はないと考えたようです。もちろん私も同感でした。主人は接骨医でしたので、人の骨格については専門家です。主人の意見も取り入れて、脳をキーワードに心と体のアンチエイジングを図るカリキュラム作りました。試行錯誤もあり結局、確立するのに2年を要しましたが、ベストなものが完成しました。基本は・骨格を整える→・加圧式トレーニングで理想のボディメイク→・ゲルマニウム温浴で体調を整える の3段階で、だいたい10日に1回、1ヶ月に3回のペースで受講していただくようにしました。女性、特に主婦の方が力まずに出来るペースを考えてのことです。

カリキュラムの作成と並行してZERO BEAUTYの場所探しが始まりました。芦屋という美意識の高い方が多く住まわれる場所での開設が理想でした。丁度、駅からも近い今の場所を見つけたのですが、申し込んだ時はすでに順番待ちで…23番目という期待薄の状況でした。それでも私のポジティプな想いが実現しました。見事に契約することが出来たのです。スタジオの内装も男性目線のものは採用せず、私の意見を押し通しました。頭を真っ白にできる白い壁、女性を美しく見せる照明にこだわり、スタッフにもフルメイクで美しく装うことを求めました。レッスンを受ける方の脳をポジティブにして気持ちを高揚させるためにも、視界は全て美しいもので整えるようにしたのです。

 

言葉の持つ不思議

私の考えの根本は佐藤先生のお教えですから、スタジオのスタッフや生徒さん達にも、それを言葉に出してちゃんと伝えています。年を取る度に美しい自分になることを信じ、今の自分が一番好きであることを目指すように言っています。嬉しいことにお子様の小学校入学時にレッスンを始められたお母様が、お子様が小学校を卒業する時に6年前のご自身よりも若く綺麗になられたこともありました。

自分を褒めることで、自分の力で綺麗になれることを常にお話してきましたが、生徒さん達もお顔が明るく穏やかになり、お子様に怒ることもなくなり、家庭でも幸せで笑うことが多くなったと言われています。筋肉を使うこと、そして声を出して笑うことは本当に大切であると実感しています。

またスタジオでは絶対に「お疲れ様」という言葉は使いません。なぜなら「疲れ」という言葉を聞くことで、本当に疲れてしまうからです。疲れない元気な心身を目指すためにも、使う言葉には常に意識をしています。それが現実に良い波動となり広がるのですから、言葉って本当に不思議ですね。昔から言葉には魂が宿ると言われていますが、真実だと思います。

 

人生100年時代に向けて

世界有数の長寿国となった日本では、今や人生100年時代と言われていますが、周囲の元気な中高年やお年寄りを見ていると、それが本当になるかも…と思ってしまいます。もしも人生が100年とすると、私は折り返し地点を過ぎたばかり、まだまだ時間はたっぷりと残されています。今の私の目標は「90歳まで働く」ことです!

実は50歳前にスタジオで倒れそうになったのですが、その時に改めて今後の人生や仕事について考えさせられました。ZERO BEAUTY を始めて10年になりますが、お陰様で順調な運営が続いています。中には開業当初より通ってくださっている生徒さんもあり、数年通い続けてくださる方が大半です。ただ…その現状に満足したことで私の身心に弛みが生じたように感じます。昔の方は病気になると「気が弛んでいる」と言われましたが、正にその通りでした。

体調を崩したことにより、今の仕事の継続で満足してしまっている自分を見出しました。もうこれでいいか…と思うと、人の成長はそこで止まります。諦めることなく自分に負荷をかけ、ハングリー精神を持たねば、これからの人生後半を輝いて生きることはできません!それなりの現状に甘えることは楽なことです。ですが挑戦することが無くなると人はやはりダメになると思うのです。その意味でも、これからのスタジオのあり方、生徒さん達への指導や接し方を見直し、次のステップに向けてもう一度、「身体」「脳」「心」の3つをキーワードに、より多くの方を幸せにするにはどうしたらよいのか…考え直したいと望んでいます。

私は生活には笑いがなければダメだと思っています。辛い体験も笑うことが出来れば、苦しみは薄れていきます。人は本来美しく健康であると信じています。その意味を多くの方に実感してもらうために、これからも挑戦します!きっとたくさんの出逢いと笑いがあると期待しています。

 

☆微笑ましいエピソード

エレガントな笛吹さんですが、意外にも立ち食い蕎麦がお好きとお聞きしました。なんでもサラリーマンの男性にまじって「よーいドン」で食べ始め、自分が先に食べ終わると満足するそうです。負けん気が強いと言いますか(笑)…やはりパワーが溢れる女性でした。

 

笛吹幸恵さん
芦屋「幸恵塾」塾長
加圧トレーニングインストラクター
美脳インストラクター

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